棚田物語 ~桜の谷へ向けての歩み~ ~2014

「棚田を山へ還す集い」~松尾山桜友会~

福岡県築上郡上毛町西友枝地区(旧大平村)

平成13年 2001年

100年以上の歴史を持つ標高約360mにある急勾配の棚田を高齢のご夫婦(真田正見・典子)が守っていた。
お田植え祭の取材の帰り道に映像カメラマン澤村がこの棚田と出会い
この奥山にある美しい棚田に魅せられ記録撮影を続ける事になる。
秋の稲刈りの様子がKBC TVお天気コーナー季節の映像として放送され
その翌年からは、田植え、稲刈りと6年間放送され続ける。 

当時、真田さん68歳

出会いのエピソード 真田さんは無口で寡黙、妻の典子さんには中々、顔を覚えてもらえず。   

平成17年 2005年

米作りをしている記録映像を残したいとの真田さんの希望に応え撮影する
現在はやっていない棚田での手づくり畦(あぜ)作りを披露して頂く。

平成18年. 2006年

体力の衰えもあり米作りを終わりにする予定だったが、稲刈りを終えた翌日に奥さん(典子さん)が急死される。

平成19年 2007年

亡き妻の供養の為と最後に米作りを一人で挑戦したいと決意し40枚の棚田をたった一人でやり遂げる。
長い棚田の歴史を閉じる。
ご主人 真田正見さんの母校でもある西友枝小学校の全校生徒による体験米作りの為に田んぼを提供、指導する。

平成20年 2008年

「棚田を山へ還そうプロジェクト」が始まる。
棚田を桜の谷へしたいというご主人 真田さんの思いに賛同した有志たち約20名が第1次、オーナー制として桜の苗木を植樹する。
3年計画で棚田だった大地を全て植樹する予定。
7年間に及ぶ棚田の記録と、桜の谷へする為に出会った仲間たちのドラマを描いた棚田ドキュメンタリー映画「典子の桜」DVDが完成する。
地元 西友枝小学校の収穫祭にて上映。
真田正見さん腰椎や頭部コブの除去手術など行う

平成21年 2009年

第2次植樹 名称を「松尾山桜友会」と真田さん命名 

「棚田を自然に還すことを通して人と自然、人と人との関わりを学ぶ」がテーマ

プロジェクト名称変更「棚田を山へ還す集い」~松尾山桜友会~としてスタートする。 
お花見、草刈り、収穫祭とイベントで集う

第2次、オーナー制、桜の植樹 40本を行う。
「棚田を桜の里へ」の取り組みを紹介した記事が、上毛町 広報誌3月号の表紙を飾る。

4月12日

第一次&二次オーナー参加の花見開催 地元ボランティアの方々と交流が始まる

5月19日

今年度で閉校する西友枝小学校生徒による最後の体験米作りとして棚田1枚を提供する。

8月2日

桜を植えた一次二次オーナーが集まり草刈りを行う。真田さん喜寿を皆さんでお祝いする(77歳)

平成22年 2010年

2月28日 第3次植樹40本を行う
※3年間で棚田全体を植樹する事ができなかった為来年まで行う予定。

平成23年 2011年

44年目を迎えた植樹の様子が読売新聞で紹介される ここまでで180本植樹
お花見会 64人のオーナーで賑わい都会の方と地元の方との交流が深くなる。
(※記事を書いて下さった野口さんも桜友会の方です)

平成24年 2012年

第5次の植樹で最後となり棚田は約200本の桜でいっぱいになる。

平成25年 2013年

真田正見 80歳を迎え喜寿のお祝いを桜友会有志で行う。

平成26年 / 2014年

植樹を始め7年目を迎え桜の幹も太く大きくなり立派な花を咲かせ始める

同年12月29日 18時頃 訃報届く

民生委員で瓦版の編集長であり桜友会の会員でもある藤本さんから
真田さんが亡くなられたとの連絡頂く 享年81歳
自宅ベッドで安らかに旅立たれたと聞いています。

次第に身体が不自由になってきていましたが最後まで桜の世話をしようとあきらめず見事な生き様だったと思います。
よく生き抜いて来られた真田正見さん
そしてこんなにもたくさんの人をつなげて頂いて
ありがとうございました。
この桜の谷に桜と人の笑顔の花が咲いていくよう天から見守ってください。
ご冥福をお祈りいたします。